HISTORY

   

日本の磁器史

 世界で最古と言われている焼き物は、九州の佐世保市で10,800年前の土器とされていました
が、このほど('00.2)やはり九州で11,500年前のモノが発見されたと、報道がありました。
しかし、非常に長い焼き物史上ではありますが、自国開発の製造法・技法は、ほとんど
見あたりません。
意識的に発達させた部分は、日本的な美意識からの造形(自然に変化したもの)に価値観
という部分の発達は見あたりますが、
 特に磁器の焼成では、最古である中国(刑州)
より約千年も遅れて、1616年。
秀吉の朝鮮出兵(1592〜1598)の際に連れ帰った李参平という帰化陶工が、鍋島藩
(現在の佐賀県有田)で焼いたとされています。
それまでの間は、中国から持ち込まれた磁器を 
 
 
 ヨーロッパの国々は、純白で、堅く・薄く・繊細・優美な磁器の方が、バロック調でも時
代を移してロココ調でも美意識感覚にマッチし、また、カップに入れるコーヒー・ココア・
紅茶との相性も白い
多大な稀少価値を生み出しました。
その稀少価値は、中国や日本からリスク伴い海路を経て運ばれた為、また、貿易会社
の利益を   とするモノだった。
 ヨーロッパの王侯貴族の間では、“磁器を強さ(財力)の証として金銀に準ずる。”とし
た焼き物の頂点とする価値観は、確立されませんでした。
陶器もそのままの美意識による価値観を持ち続けています。
 安土桃山時代の武家社会で、茶道を利用して政治的な人間関係を創って行きまし
た。

 この時に、構築して行く茶道の“侘び寂び”といった日本人特有の美意識感覚が、磁

器の研ぎ澄まされた質感や製造方法と、趣に不一致を感じさせたのではないでしょう
か。
茶室に、ドレスデンの磁器の間の様な装飾をしても、バランスが悪く美意識にそぐわな
い筈です。
逆にしても同様に違和感を感じずにはいられない事でしょう。
 
逆に、陶器の自然との融合した成り立ちと、美意識感覚を更に推し進める方向を採り
ます。
そこに焼き物に対する日本特有の概念があります。
 
 有田の磁器産業は、直接ではないにしろ中国の製法・技法に頼っていた部分が多か
ったようです。
やがて、白磁に染め付け(下絵付け)がされるようになります。この方法も中国から伝
わったようです。
 更に、色絵の技法も(1647)初代柿右衛門によって開発されます。これも中国から
技術が影響していたようです。

はみ出し  柿右衛門の特徴

にごしで
 特に柿右衛門では“濁し手”と言われるやや濁った釉薬を使うことによって赤
 絵(上絵)をより鮮やかに引き立ています。
絵付けは余白(白磁)を活かしたの図柄をレーアウトし、絶妙なバランスを醸し
 出します。
このような図案は有田の窯で広まり、柿右衛門様式と呼ばれています。
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 この産業は輸出に頼る部分も大きかったようです。
 1602年オランダ東インド会社が設立され、はじめは中国の景徳鎮窯の磁器がヨー
ロッパに輸入されていました。
 やがて中国で内乱が始まり、輸出できなくなったことで、磁器を焼成している有田に目
を付けます。
 1659有田には多量の注文が舞い込み磁器産業は繁栄します。始めは景徳鎮窯の
製品より劣っていた品質も次第に同等以上のモノが作れるようになりました。
作風も景徳鎮窯の模倣から始まった図柄は、柿右衛門様式が確立して行き、価格も高
騰しました。
 世界的なブランドの“イマリ”は、こうして有田で焼かれた磁器を積み出した伊万里港
からに由来しています。
 中国の内乱が沈静化すると、価格面で有利になった景徳鎮窯のモノが有田のモノを
逆転します。
 しかし、時代の流れの中で、“イマリ”がもてはやされていた為、今度は景徳鎮窯が
“伊万里”を模倣するようになります。“チャイニース イマリ”はこうしたモノを指します。
 江戸時代中期まで独占状態だった有田の磁器は後期になって石川県の九谷焼・広
島県の姫谷窯・京の京焼き・愛知の瀬戸焼きへ広まりました。(古九谷は有田で国内販
売用に作られたモノです。)
 今日では磁器の製法も公のモノとなり、輸送運搬の発達により、原料が近くで産出し
ていない場所でも 作られるようになりました。

はみ出し 古伊万里様式

“古伊万里”でまず頭に浮かぶのは(特に洋食器から入った多くの方)金襴手で
はないでしょうか。
きら
金襴手は1690年代以降の江戸時代中期、豪商の数寄者が贅を競い煌びやか
な趣味を求めた事に端を発します。
それ以前のモノは、染め付けや色絵などが柄のメインになっていて金彩をメイン
に持ってくるモノは見受けられません。

はみ出し 金襴手

 金彩をふんだんに使った豪華絢爛な絵付けの手法です。
九谷焼(加賀)にも見られます。

 

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はみ出し 瀬戸物

 磁器を指して“瀬戸物”とよく言いますが、瀬戸(現在の愛知県瀬戸市)で磁器焼
成が行われるようになったのは、江戸時代末期の1807年に加藤民吉が有田の
磁器焼成技術を学んできます。
今では豊富に見つかっている磁器原料も発見しようとしなかったし、焼成技術も無
かったので陶器しか焼くことが出来ませんでした。
黄瀬戸・志野・織部など古瀬戸の代表てきな陶器ですが、黄瀬戸は青磁・志野は
白磁をまねて、陶器で作ったモノです。
 

更に詳細が知りたい方は“日本やきもの史入門”をお読み下さい!

 

ヨーロッパの磁器史

 17世紀頃までのヨーロッパでは、厚ぼったい、くすんだ色の陶器しか焼けず、透ける
ように極めて薄く、白い磁器は焼けませんでした。
 当時、磁器に対する価値観は、焼き物の分類中で最高の“完全無欠”のモノでした。
 これはオリエンタル文化へのあこがれの中で、最も高く象徴として“チャイナ”(中国の
もの)と呼ばれていました。
 王侯貴族の間では、“磁器を所持すること イコール ステイタスシンボル”になってい
たほどで、今のよ うに一般庶民が当たり前の様に使用できるモノではありませんでし
た。
 価格は非常に高価で、そこに費やされる金は相当のモノでした。
その当時、科学的な研究が錬金術に次いで磁器焼成
 やがて自分たちで作り、金の流出を防ぐと共に他国に売って収入を得ようとし、磁器
焼成を試みます。
 始めは、白色粘土にソーダガラスなどの副原料を混ぜて焼成する軟質磁器(分類は
あくまでも陶器)までの表面上を磁器に似せようとした作り方を行っていました。
この時には、磁器の原料となる“カオリンの発見”も“カオリン中の珪酸を高温で焼くこ
とによってガラス質を形成させる概念”も“高温に達する窯”もありませんでした。
 大変な磁器コレクターであったザクセン(現ドイツ)選帝侯のアウグスト強王も、
 
当初、錬金術 の研究に多額の出資していた“ベドガー”
に磁器焼成の研究をさせます。
 当初、彼は、卑金属を金に変える(錬金術)と王に約束して、多額の研究費を捻出
させますが、 いつまで経っても成果の上がらない、

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卑金属(貴金属の反対語)

空気中で酸化されやすい金属。鉄・亜鉛(あえん)アルミなど。
 
やむなく白磁焼成の研究をするようになります。
 まず始め、1705年に茶褐色のせっ器の焼成に成功します。
これは、マイセンで最初に販売され、後に、“ベドガーせっ器”と呼ばれます。
磁胎は堅く、肉厚も薄いのですが、褐色であり無釉の為、研磨して光沢を出していま
す。
このせっ器と平行して磁器の研究が行われていました。磁土の調合・焼成温度を上げ
るために窯の改善などを加えて、1708年ついに白磁焼成に成功します。
 しかし、中国や日本のモノと方を並べられる品質には、まだまだ、及びませんでした。
白磁の次にコバルトを用いた下絵(釉薬下)は、程なく完成させますが、色絵(上絵)の
顔料開発は遅れます。
 また、マイセンは日本の官窯と比べ、
 
潤沢
磁胎・釉薬・絵付けなどの
 
  マイセン窯の組織はベドガーを社長とする
 
 
1719年には白磁焼成の技法はデュ パキエ(ウィー
ン窯)がマイセンの磁土の調合・窯焚きをしていた“シュテルツェル”を買収して流出さ
せてしまいます。
 
 
 
 この後も磁器焼成の秘法はヨーロッパ各地に流出して行くことになります。
 マイセンでは上絵付け用の絵の具開発にウィーン窯より遅れをとりますが、1720年
シュテルツェルが絵付け師“ヘロルト”を連れだって再びマイセンに帰ってきた事によ
り、飛躍的に向上しました。
 彼はシノワズリー(中国趣味)の絵付け技法を完成する事によって、マイセンの一時
代を“白磁=多彩な絵付け”と言う価値観作りました。
 しかし、この時代も長くは続きません。やがて世の中は静的な絵画から動的な造形美
を求めるようになります。
 1731年、彫刻家“ケンドラー”を招き入れて造形に力を入れ、人形や動物などを写
し、今までの磁器にはない力強い作品が生まれました。
 まだこのころの磁器は庶民に高嶺の花でしたが、次第に庶民が力を持つようになる
り、イギリスで起こる産業革命によって磁器産業も大きく変遷します。
 それまで磁器の需要は上流階級だけのモノでしたから、コストを下げる努力より、質
の高い、手間の掛かった見栄えがするモノを優先して製造していました。
 庶民から需要されるようになると、工業製品としてコストパフォーマンスを追求し、より
生産性の上げられる窯が力を持つようになりました。
  次第に手書きされていた絵付けは大半が銅板転写・プリント柄に変わって行き、現
在あるかたちに至ります。

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磁器焼成法伝搬の経路

中国 朝鮮 日本
ヨーロッパ
 

更に詳細が知りたい方は“マイセン”をお読み下さい!

 
 

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