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やむなく白磁焼成の研究をするようになります。 |
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まず始め、1705年に茶褐色のせっ器の焼成に成功します。 |
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これは、マイセンで最初に販売され、後に、“ベドガーせっ器”と呼ばれます。 |
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磁胎は堅く、肉厚も薄いのですが、褐色であり無釉の為、研磨して光沢を出していま |
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す。 |
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このせっ器と平行して磁器の研究が行われていました。磁土の調合・焼成温度を上げ |
| るために窯の改善などを加えて、1708年ついに白磁焼成に成功します。 |
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しかし、中国や日本のモノと方を並べられる品質には、まだまだ、及びませんでした。 |
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白磁の次にコバルトを用いた下絵(釉薬下)は、程なく完成させますが、色絵(上絵)の |
| 顔料開発は遅れます。 |
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また、マイセンは日本の官窯と比べ、 |
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| 潤沢 |
| 磁胎・釉薬・絵付けなどの |
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マイセン窯の組織はベドガーを社長とする |
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1719年には白磁焼成の技法はデュ パキエ(ウィー |
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ン窯)がマイセンの磁土の調合・窯焚きをしていた“シュテルツェル”を買収して流出さ |
| せてしまいます。 |
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| この後も磁器焼成の秘法はヨーロッパ各地に流出して行くことになります。 |
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マイセンでは上絵付け用の絵の具開発にウィーン窯より遅れをとりますが、1720年 |
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シュテルツェルが絵付け師“ヘロルト”を連れだって再びマイセンに帰ってきた事によ |
| り、飛躍的に向上しました。 |
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彼はシノワズリー(中国趣味)の絵付け技法を完成する事によって、マイセンの一時 |
| 代を“白磁=多彩な絵付け”と言う価値観作りました。 |
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しかし、この時代も長くは続きません。やがて世の中は静的な絵画から動的な造形美 |
| を求めるようになります。 |
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1731年、彫刻家“ケンドラー”を招き入れて造形に力を入れ、人形や動物などを写 |
| し、今までの磁器にはない力強い作品が生まれました。 |
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まだこのころの磁器は庶民に高嶺の花でしたが、次第に庶民が力を持つようになる |
| り、イギリスで起こる産業革命によって磁器産業も大きく変遷します。 |
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それまで磁器の需要は上流階級だけのモノでしたから、コストを下げる努力より、質 |
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の高い、手間の掛かった見栄えがするモノを優先して製造していました。 |
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庶民から需要されるようになると、工業製品としてコストパフォーマンスを追求し、より |
| 生産性の上げられる窯が力を持つようになりました。 |
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次第に手書きされていた絵付けは大半が銅板転写・プリント柄に変わって行き、現 |
| 在あるかたちに至ります。 |