「イギリス陶工の父」と呼ばれるまでになったウェッジ
ウッド窯の創設者ジョサイア。 |
彼は1759年にロンドンの北西にあるストーク・オン・トレントに独立して開窯しました。 |
イギリス以外のヨーロッパの名窯が磁器製造を目指し、焼成方法がほぼ確立してか
ら |
開窯し、生産に踏み切っているのに対して、ウェッジ
ウッドや他のイギリスの窯は陶器 |
の製造から着手し、磁器焼成を試みます。 |
しかし、良質のカオリン(磁器の原料)が見つからず、現在まで硬質磁器はほとんど製 |
品化されていません。 |
その代わり1800年代始めににジョサイア スポード2世(スポード窯)がボーン
チャイナ |
(軟質磁器)を研究の副産物として、焼成に成功します。 |
ウェッジ ウッドでは1812年から短期間ボーン チャイナを生産しましたが、品質が上が |
らずに途中で中断してしまいます。 |
ウェッジウッドが最初、表舞台に立ったのはそれより前の1760年代始めのクリーム
ウ |
ェアーと呼ばれる有色陶器の完成によるものでした。 |
後にシャルロット王妃に気に入られてクィーンズ ウェアーと呼ぶことを許されます。 |
その後、ガラスのカメオで出来たポートランドの壺をストーン ウェアーで復元した世界
で |
最も有名なジャスパー ウェアーを4年の歳月を費やして完成させます。 |
このどちらのウェアーも磁器ではありませんでした。 |
クリーム ウェアーやジャスパー ウェアーの成功による利潤でとりわけ磁器を焼成する |
必要がなかったと思われます。 |
ボーン チャイナの再生産は1878年に、ファイン ボーン チャイナ(原料中に牛骨灰が |
50%以上)を焼成に成功する事により始まり、現在の主力商品としての地位を確立さ |
せます。 |
ウェッジウッドや他イギリスの名窯が生産したモノは、他国の名窯のモノと比べ必ず
し |
も最上質の製品を目指して生産していたわけではなかったと言えます。 |
ではなぜウェッジウッドを始めとするイギリスの窯がここまでの名声を博したのでしょう |
か。 |
ヨーロッパの名窯は王侯貴族やお金持ちを対象とした販売・製品作りをしていたのに |
対して、イギリスでは王侯貴族をプロモーションとして利用し幅広い階級の人を対象に |
して販売・製品作りをして行きます。ヨーロッパの名窯が窯業をアートとしてとらえた |
のに対して、イギリスでは生産と販売に対するシステムを確立した事で産業としての位 |
置づけ販路を拡大でき、これが違いとなって現れたのではないかと思われます。 |